1巻だけ買ってみる

続きもののマンガや小説の買いかたについて、僕と妻の態度はすこし異なります。
このまえ帰宅したら「おはようおかえり」というマンガの1巻が置いてあったのですが、話を聞くともうすでに4巻まで刊行されているらしい。えっ、じゃあ234巻はどこにあるの? えっ、とりあえず1巻がおもしろかったら続き買おうと思ったんだけど。買っていいと思う?と、にこにこしながら尋ねる妻に、あたりまえであろう、今すぐにAmazonでぽちれと、1巻を1ページも読んでいない僕は命じたのでした。
とりあえず1巻だけ買って様子見をするというのも合理的な態度ではあるかもしれないけれど、そもそも読書に合理性なんて必要なのだろうか? 書店に在庫がないならともかく、「デイヴィッド・コパフィールド」の1巻だけ買って読みはじめるなんていう事態がありうるのだろうか? 答えはノーである。「メイスン&ディクスン」の上下巻を一気に購い、買ってもうた買ってもうた、読む時間なんてあれへんのに買ってもうたとおろおろしながら、背すじを貫く性的なものにも似た気持ちよさに身をゆだねるのが正しい読書のありかたではないかと思う。
そんなわけで「おはようおかえり」の続巻はほどなく家に届きました。5年ほど暮らしたことのある京都のあちこちが作中の風景として現れるのに、この店ってまだあるのかなあなんて妻と話をしていると、最近マンガ好きで世の5歳児の例にもれず「よつばと!」がバイブルのCJもすっと手に取り、ただこれは漢字にルビも振っていないし、すぐにわからんと放り出した次第。そうねえ、濡れ場もあるし君にはまだ早い。

おはようおかえり(1) (モーニング KC)

おはようおかえり(1) (モーニング KC)

こどもはずるいな

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きょうは生まれてはじめて、サファリパークに行ってきました。僕の想像では、園内でバスかなんかに乗って動物たちを眺めるものと考えていたのですが、なんかじぶんたちの自動車でそのまま乗り入れるという趣向のものであり、結果として運転ばかりして疲れた一日となりました(よって写真は妻の撮影)。大人は損だな。もっとこどものころに来たかったよ……。
こどもたるCJはトラのゾーンで、もう帰る、帰りたいとぐしょぐしょに泣いていておもしろかった。なんでそんなに怖いのさー、おかしいよと笑って訊いてみたら、だって肉食だから……と、ぽろぽろ涙を流すありさま。その点JJはまったく危機感がなく、トラにも、ライオンにも、チーターにも微笑んで手を振っていました。サバンナでは生きていけないタイプと思われます。
帰りみちの車のなかでは当然のごとくCJもJJも眠りにつき、ずるいなあこどもは、と思いながら許してしまうのは、家に着いて夕食をすませてピアノの練習をするCJがとつぜん、ねえ、おとうさん、おおかみこどもの歌も弾けるよ、と劇中曲の主旋律をゆっくりつまびきはじめたりする瞬間があるからで、ふたつきも前に観てその後さほど話題にしたわけでもない映画のことをしっかり覚えているということ、あのとき耳にしたメロディを一緒に観たひとと共有するのになんのためらいもないことに、やっぱり驚いてしまうのです。そうやって、簡単に人のハートをぐっとつかんだそのすぐ後に、とくいの変顔をしたりするのも、こどもはずるいなって思うところです。

猫とセレブリティ

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きょうは休日だったので、こどもたちを保育園に送っていったあと、掃除は念入りにしたけれど、それ以外は本を読み、インターネットをだらだら眺めて過ごしました。
そのうち辿りついたのがChats des célébritésという、猫と有名人がいっしょに写ったポートレートを集めたアルバムで、これがなかなかおもしろかったです。おもしろいというか、がくぜんとしたのはやはりモリッシーであろう。いつのまにこんな温水洋一みたいな人になった。思い起こせば80年代後半、女の子が猫につける名前といえばモリッシーと町蔵が双璧だったのではなかったか(せまい観測範囲ですいません)。まあしかしあれだ、町田さんのほうも、いまや気を抜くと小林よしのりみたいな顔で写ってる画像をお見かけするので、時の流れというのは恐ろしいものである。
女優がシャムを抱いている写真ももちろんいいけれど、やはりミュージシャンが多く出てくるのがぐっときます。ボブ・ディランフランク・ザッパフレディ・マーキュリーキース・ムーンカート・コバーンキース・リチャーズ……。そのほかにもたくさん。いちばん好きなのはパティ・スミス。撮ったのはメイプルソープではなく、サム・ワグスタッフのもよう。彼女の写真は「Horses」や「Dream of Life」のジャケットのように、いつも目を細めて上から視線を流すような記憶が強いけれど、こんなに真正面からの構えていないショットがあるのにすこし驚きました。帽子と猫がすごくいいんだな。
ちなみにうちのマルは、ベス・ディットー、ポール・レオトーニ、それからアニー・デュプレーといっしょに写っているシャルトリューという猫です。アニー・デュプレー! 妻がこのまえ「彼女について私が知っている二、三の事柄」を録画してたっけな…と思って訊いてみたら、もう観てとっくに消したとのことでした。残念なり。

JJの右傾化

ナショナリズムのあり方が問われる昨今ですが、わが家にも右傾化の風が吹いています。2歳児に。右翼思想への若年層からの共鳴がめだつといっても、ちょっと若すぎるんではないのか。
そもそもは、すっかり記憶のかなたに追いやられた感もあるロンドンオリンピックであり、僕たちもそれなりにTVで中継やらニュース番組やらを観る機会があったわけです。べつに、運動それ自体の持つ美しさを鑑賞するためなんていうほどスノッブにかまえるつもりもなく、勝ち負けもスポーツのおもしろさであることは否定しないけれど、アナウンサーその他が連呼する、ニッポン、ニッポン!という甲高い声には少々うんざりもするよねえ、といういつものオリンピック。しかし2歳児にはそれが非常に印象深かったらしいのです。ニッポン? ニッポン。 ニッポーン! そしていつのまにやら国旗も理解し、日の丸とニッポンはセットになり、その後の竹島尖閣諸島関連のニュースで国旗がちらりと映るたびに、ニッポンよー、見てー!と叫ぶ習慣がついてしまったというわけです。
そして本日、事態は新しい展開を迎えたそうである。中国総領事館が徒歩圏内にあるせいでわりと右翼の街宣車を目にすることも多く、本日も妻と子どもたちが出くわしたそうなんですが、JJは臆することなく「ニッポーン!」と呼びかけ、にこやかに手を振っていたといいます。いいのかなあ、これで。

マルや

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猫と暮らすことになった。そもそもは妻と、3人めのこどもはうちに来るのかねえという話をしていたのだった。もちろん来るものを拒むはずはないけれど、また女の子だったらいよいよ父の居場所がなくなるんではないかと恐れもし、いや、ここは確実に男の子を迎えようよ、ということでオスの猫の子が家にやってきたのだった。
名前はすんなり決まった。マル。妻によれば、マルチェロ・マストロヤンニのマル。CJによれば、まる子のマル。僕はマルクス・アウレリウス・アントニヌスからいただいたつもりなんだけど。そしてJJだけは「ねこみちゃん!!!」と叫んでいたけれど、あえなく無視されたもようです。でも、マルといちばん楽しそうに遊んでるのはJJで、マルもまんざらではないように見えるんだな。

ピアノレッスン

土曜日の午前中にCJを自転車のうしろに乗せて出かけた。公園を突っ切っていくと早いんだよ、マクドナルドのところで信号わたって、絵が描いてあるお店のところを曲がるの。ちーがーうー! ほんとはいまの道を曲がらないとだめなの! うしろのシートからの喧しいナビゲーションにしたがったりしたがわなかったりしてのんびり走る。着いたのは本町の片隅にある雑居ビルで、階段をのぼった一室がCJのピアノ教室。レッスンバッグにしているnani IROのトートから幼児向けの教本を取り出して、30分のレッスンがはじまる。ふだんは妻が同行しているCJのピアノだけれど、この日はすこし都合があって、僕が付き添ったというわけです。
こどもにピアノを習わせるというのは、ちょっとオールドファッションにすぎるんじゃないかなんて僕は思っていたけれど、まずCJがピアノ弾きたいって云うし、妻も習っといて損はないよというので、レッスンを受けはじめたのがこのまえ日記を書いた4月。春が夏になって、秋のはじまりを迎えても無事にピアノのお稽古は続いています。
そんなこんなで、きちんとCJはまいにち練習してるんですけど、あー、家のなかに楽の音があるというのはやっぱりよいものである、というのが結論です。あまりに凡庸なミドルクラス的幻想ではないか、というのがピアノレッスンに対する僕の危惧だったわけですが、こどもがつまびく拙いピアノの音を耳にすると、プチブルと呼ばれるのを恐れることこそが凡庸さの証であるという気分になってきました。たぶんいまロックがあるとしたら、それは夜の中央線沿線のライブハウスのアンプから流れ出すひずんだ音ではなく、じぶんのこどもが弾く電子ピアノの音を聞くというアティテュードこそがロックなんではないかと、勝手ながら提案させていただきたい。わけのわかっていないJJがお姉ちゃんのもとに駆け寄っていくのを防ぐために、押さえつけていたりすると、さらにハードロックである。

わたしのピアノ

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CJがピアノに興味しんしん丸である。妻がこどもたちを連れて実家に帰ったときに従姉の発表会を見たりだとか、まあその他もろもろあって、保育園で色紙を使ってピアノをフルスクラッチするに至ったわけです。しかしさすがに自立せず、家に持って帰ってきたのを補強したのが写真のピアノ。これのすごいところは楽譜が付いているところです。いくつかCJ作の歌を紹介してみましょう。キュートかつ殺伐としているのが特徴です。

ひまわない
ひとわ ひまわない いつも ひまわない
せっせっせーではたらきなさい
ひとわ はたらく
たからもの
あなたわたからものです
きとみの
あなたの きとみの こころのところも きとみの いつも きとみの

そんなこんなで、ピアノを習いにいくことになりました。5歳児は大忙し!
そうそう、このまえの5歳の誕生日はアイロンビーズのセットとスマイルプリキュアの塗り絵、それからひこ・田中さんの「レッツがおつかい」でお祝いしました。こんなのも読めるかなーと思ってあげたら、まったくだいじょうぶで、ひとりで黙々と読んでおりました。いつのまに声出さなくても読めるようになったんだろうねえ。