シネ・ヌーヴォに「処女の泉」を観に行く。レイプされた後に泣いてしまうとさらにヒドイ目にあうという映画だった。

いや、観ている間、映画として完璧な映像スタイルと構成にめろめろだったんですが、ラストの泉が湧き出るシーンって有名じゃないですか。あそこでちょっとあれーって思っちゃって。

劇中にはキリスト教と北欧の土着信仰との対立というのが一貫してあるわけで(このへんは上映後のトークで三木宮彦氏も触れていた)、いろんな葛藤の末に父親は木の建物(北欧の土着)よりも石とモルタルの教会(キリスト教)を選択するわけでしょ。それで泉がどばーて湧いてくるって、お前それ結局オカルトじゃん!みたいな。

あ、でもベルイマンとしては劇中父親にキリスト教を選択させただけで、本人がキリスト教を肯定してるわけじゃないんだよな。じゃあつじつま合うわ。ここまで書いてようやくわかった。つまり、あの泉を「救い」だとかなんとかいうのはやっぱおかしいんじゃねーの?という話でした。

ベルイマン映画祭、次は「鏡の中にある如く」を観に行くつもりです。楽しみ楽しみ。