京都には雪が残っていた

秘密の買い物と、河井寛次郎記念館と、パン屋を何軒か。
五条坂のすぐ近くにある河井寛次郎記念館は、彼の居宅をそのまま残しているもの。
http://www.studiomiu.com/kanjiro/
陶器の展示はそれほど多くないけれど、建物とそこから生まれるだろう暮しが興味深い。京都で暮らしていたころに町屋に住む人々のもとを訪れたことは何度かある。代々その家で暮らす人の家には、家業が織り成す歴史に対する素朴なありがたみが感じられる。逆に、新しく町家に移り住んだ人の家には、不便さをあえて選択することで得られる安息が感じられる。河井寛次郎の家に感じられるのは、それらとはまったくレベルの違うどでかいスピリチュアリティだ。家の中の神棚や、登り窯のそばの地蔵といったものは、古い日本の生活に根ざしたものだといえるかもしれない。けれど、自作のヘンな木彫りやお面が同時に部屋に違和感なく存在するこのセンス! ちなみに年譜によると、1959年(69歳)で「見るものすべてが「面」に見え、木彫は滞まる所なきまでに発展」とある。ドープだなあ……。それらを一手に引き受けた寛次郎の美意識がびしばし感じられるこの記念館、来てよかった。
北白川のprinzで昼食、猫町でお茶をして、妻と話しながら考えた。京都のカフェの何が人を惹きつけ、独自さを保っているかというと、いろんな客がやってくるということなのだなと。年齢層やおしゃれ階層で選別せずに受け入れるゆるやかさが店と客に備わっているから、京都のカフェは特別であり続けるのかなー。およそ10年前、京都で暮らしはじめたころに同じことを思った記憶がある。長く暮らすうちに、その感想には「よくも悪くも」という枕詞がつくようになって、それはたぶん僕の中で今も変わらない。ただ、大阪からやってきてひさしぶりにお茶をすると、新鮮であることは確かです。