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大阪に住んでいると、同年代諸氏の共通幼時体験として「パルナスの歌」があることをしばしば思い知らされます。もっともだいぶネタにされすぎた嫌いがあるので、近年はあまりうれしそうに話す御仁にはお目にかからないようだけど。そういう空気のなかで、じゃあ君たち「青柳ういろうの歌」は知ってんのかよ?と孤立無援の闘いを挑んでも得るところは少ない。♪白黒抹茶、苺コーヒーゆず桜……、と口ずさんでみて何かちがうなと我ながら気づく。あっ、あずきコーヒーゆず桜だ。これでは寺田寅彦が混じってしまっている。
寺田寅彦の「好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物」という有名な歌は、もともと研究室の壁に貼られていたもので、原文ではローマ字で記されていたらしい。松岡正剛は「千夜千冊」のなかで、この歌について次のように書いている。

ぼくが大好きな歌で、これで寺田寅彦の本質がすべて言いあらわされていると思っているが、それとともにここには、枕草子このかた連歌俳諧で極め尽くされてきた「物名賦物」(もののなふしもの)の伝統が集約され、しかもそれが近代化されている。「山は」「小さきものは」「好きなものは」と措いて、それをただ並べるだけだが、そこに究極の編集がある。 (松岡正剛の千夜千冊 第六百六十夜・寺田寅彦『俳句と地球物理』

僕もこの考えにまったく賛成だ。付け加えるなら、僕がインターネットでさまざまな日記やブログを読むのも、現在の「物名賦物」を楽しむためといって差し支えない。読んだもの、聴いたもの、観たもの。買ったもの、食べたもの、遊んだもの、きれいだったもの。それらが並べられたあなたたちの生活を読むことが楽しいからネットをめぐる。そして僕自身も、本質的な何かを欠いているんじゃないかと一抹の不安を抱きながらも、ものについてかんたんに書き留めるのです。