道草をくうこと

昨晩から妻がひとりで実家に帰っている。それじゃこちらもひさしぶりに黙々と読書に勤しみますかね、ということでまず手に取ったのがジャン=リュック・ナンシーの「私に触れるな―ノリ・メ・タンゲレ」。こいつを前菜に、この連休は本のフルコースでも楽しもうという魂胆。さてこの本は聖書の復活したイエスとマグダラのマリアのエピソードを基に、なんで触ったらあかんねんという素朴な疑問に一般的な神学解釈とはべつのやりかたで解答を出そうとする試み。つまりそれらをモチーフにした絵画を通して、“触れる”ことについて重層的なイメージ論を展開していておもしろい。話がギリシャ、ヘブライ、ラテンと言語学的な方へ傾くといっきにちんぷんかんぷんになるあたり浅学の身にはつらいですけど。途中、清原なつのの「花図鑑」に寄り道したり、マグダラのマリアがフランス語では“マリー=マドレーヌ”となることを知って、あの京都で刊行されてたミニコミの誌名はここから来てんのか?と妻の本棚を漁ったりして(見つからなかった)、いつもながらの寄りみち読書。


さて前菜が終わったものの、次はどうしようかということで堂島のジュンク堂へ。こういうときこそ何か腹にたまるメインをと考えつつ棚をぶらぶら歩き回るけれども、どれもピンとこない。読んでないスタンダードなんて腐るほどあるし、それは今まで読みたいというタイミングが巡ってこなかったからで、連休だからって無理に本を買っても途中で投げ出すに決まってる(投げ出すことが悪いというわけじゃないけど)。結局、「日本説話小事典」、畦地梅太郎の「伊代の山河」を買って家に帰ってあちこち拾い読みをはじめる。コースはやめてアラカルト、というより居酒屋だ。そのうち本棚から別の本を取り出して、また別の本を探しはじめて……。やっぱり今日も寄りみち読書。
日本説話小事典

日本説話小事典


伊予の山河 (平凡社ライブラリー)

伊予の山河 (平凡社ライブラリー)