矢のごとしで6月

いつのまにか6月! 当方、なぜか二週つづけて奈良へ行ったりなどして過ごしております。キトラの白虎も見たぜ!
その間に読んだ本でいちばんおもしろかったのが、「益田勝実の仕事(1)」(ちくま学芸文庫)。

九月の十日ころの程なれば、衣も多くも着ず、紫苑色の綾の衣一かさね。濃き袴をぞ着たりける。香の香ばしきことあたりの物にさへ匂ひたり。道範、わが衣をば脱ぎ棄て女の懐に入る。しばらくは引きふたぐようにすれども、気憎くもいなぶことなければ、懐に入る。その程に、男のまらを痒がる様にすれば、かき探りたるに、毛ばかりありて、まらうせにけり。驚き、怪しくてあながちに探るといへども、すべて頭の髪を探るがごとくにして、つゆあとだになし。
大事出来。これほどの大事は世の中にない。(中略)ところでこの道範、他のうせ物なら思案もつこうが、このうせ物には困りはてた。困りはてると腹がたつもので、一人の郎等を呼んで、「かしこにめでたき女なむある。われも行きたりつるを、何事かあらむ、汝も行け」と勧めてやり、その郎等がしばらくして情けなさそうな顔つきで戻ってくると、次の郎等を呼んで勧めた。七、八人もつづいて派遣したが、もどってくる顔つきは変わらなかった。

軽妙なシモ・トークからはじまって、かけあいのように続くリズムのよい文体で一気に中世説話の世界をかけめぐる。そこにきらめくのは、姫君、上達部、天皇、寺僧、武士、そして大蛇や鬼、力士や大力女などの説話システムのガジェットたち!
収録されている「説話文学と絵巻」は1960年、益田氏が37歳のときの論考。貴族社会における世代間の故実の伝承から民衆社会における世間話のヨコの伝承へっていう、説話文学の成立にかんする着眼点は今やむかしほど新鮮な意味をもたないかもしれないけれど、文献を丁寧におさえつつ、自分のことばで説話群に立ち向かった姿勢、そこかしこに感じられるみずみずしい息遣いは、他にかえがたいものがあります。青春の1冊とすら呼びたくなる、きらめきが詰まった文章。ヤング・アンド・ブライト!

益田勝実の仕事〈1〉説話文学と絵巻・炭焼き翁と学童・民俗の思想ほか (ちくま学芸文庫)

益田勝実の仕事〈1〉説話文学と絵巻・炭焼き翁と学童・民俗の思想ほか (ちくま学芸文庫)