文學少女

梅田での待ち時間にふらりと光国屋書店に入って、おっと、この赤と青のチェックは……と手にとったのが、木々高太郎の「文學少女その他」。恩地孝四郎が装幀を手がけた、雄鶏社の推理小説叢書の1冊。
表題作の「文學少女」っていうのがね、ミヤっていう女の子がまわりの男たちの狡猾さや無理解によって、文學の才を持ちながらそれを成就することなく死んでいくって話なんだ。ミヤに対する男たちの態度には2種類ある。文學を毛嫌いする父親、浪花節を愛好して文學になんていっさい興味を示さない夫、これらは文學少女へのたんじゅんな無理解。そして、ミヤの書いた小説をほめそやすことで歓心を買って彼女のからだをもてあそぶ郵便局員、ミヤの小説をじぶんの名前で発表してしまう小説家、この2人は文學少女を搾取の対象としてたちまわる。
なんか身につまされるよねえ……。しばらく前に妻が持ってる野溝七生子の「ヌマ叔母さん」を読んだときもちょっとヘコんだんだけど、なんていうか男としては非常に身動きとりにくい。男に対する決めつけだよ、といいきれる清らかな男はどれだけいることだろう?
もともとね、少女性とか呼び習わされる領域にさほど関心がなかったというか、いや正確には少女についてアツく語るおじさんどもに反感を持っていたわけですよ。キモい、キモすぎるんじゃおまえら!てかんじ? しかしふと気づけば僕もすでに35歳、そろそろ少女も掌の上でころころ転がしてもいいお年頃、いやむしろ掌の上で転がされたいもんですのうヒッヒッヒ。というような心持ちに最近至っていたわけですけど、冷や水をかけられるような2冊を立て続けに読んでしまった。文學少女に近づくのはやっぱり危険だ。ていうか、近づかないのが唯一の解決策である、なんてのは「文學少女」でひとりだけ上記の2種類にあてはまらない登場男性である大心地博士に対する、ミヤの死に際の態度で示されてもいることなんだけどね。