ランダム・ウォーク

ウォール街のランダム・ウォーカー」は初版刊行から30年以上たった現在も、多くのひとびとに読まれている古典である。第8版日本語訳で約470ページ、けっこうボリュームはあるけれど、この本の主張をまとめることはそんなに難しくはない。株価は短期的にはランダム・ウォークを行うので、予測に基づいて個別銘柄の売買で利益を得つづけるのは不可能に近いこと。ただし、長期的には市場効率性によって株価は順当な調整を受けるので、市場全体の成長に応じた利益を得るのは可能であること。ようするに「インデックス・ファンド買って持ち続けること!」ていう話で、個別銘柄の選択によるアクティブな株式投資が長期的に市場インデックスの成長率を上回る事例のごくすくないことを揶揄して、「ウォールストリート・ジャーナルの株式欄からチンパンジーがダーツで銘柄を選択して運用するのと、成績はほとんど変わらないだろう」なんていったりする。ひどいなー。そりゃあチンパン扱いされた投資家も怒りますよ。テクニカル分析についても、「むだ! アホちゃう?」て一刀両断して、チャート教信者まで敵にまわす清々しさ。なかなか痛快です。
しかし、無作為さを表す「チンパンジーのダーツ」というのは、応用が効きそうである。1920年代にアルベール・カレが古楽の19平均律を現代的に復活させた「esprit curieux」を発表して好評を得たのち、じつはボードの1〜20にそれぞれ音階と無音を割り振ってアミアン動物園のチンパンジーにダーツを投げさせて作った曲なんだけど……て暴露してスキャンダルになった事件は同時にシュールレアリストたちの賞賛を浴びたりもしたんだけど、なんて書くとそれっぽいでしょ?(口から出まかせです、念のため)
まあわざわざチンパンジーの協力を得ずとも、乱数(偶然性といえばもっと広がる)を導入した音楽なんてのはじっさいにあるわけで、ただ、そうやって作られた音楽にも人はなんらかの調性を聴きだしてしまうというのが怖いところである。完全な無作為さを感じさせようとすると、作為的にそれを演出するしかないという逆説ですね。株式市場のはなしに戻れば、ランダム・ウォークの集合であるチャートに意味を見出したくなる人間の心情というか。こんなふうに書くとシンプルな実存のもんだいぽく思えるけれど、どっこい絡まった糸はヒュッとほどけるようなかんたんなものではない。チャート信者が損をしたときの言い訳は決まっているらしい。いわく、「チャートを信じきることができなかったからだ。人間的な判断を加えてしまったのが敗因で、チャートが示す動きを純粋に処理していればこうはならなかった」。このひとたちは意味が好きなのか無意味が好きなのか、考えると頭がぐらぐらしてきそうである。

ウォール街のランダム・ウォーカー―株式投資の不滅の真理

ウォール街のランダム・ウォーカー―株式投資の不滅の真理