道をたずねられること教えること

夕方、梅田の第二ビルのあたりで妻が道をたずねられたらしい。中国人らしい女の子のグループに英語で、全日空ホテルはどっちでしょうって。これ、なかなかの難問だよね。直線的にはほぼまっすぐに南に向かえばいいし、たいした距離でもないんだけど、第二ビルと全日空ホテルのあいだには北新地という迷路が横たわる。わかりやすい道を選ぶなら、御堂筋か四ツ橋筋に出て、南へ下って堂島川の手前の道を曲がって……という迂回路を説明するのがいいのかもしれないけど、けっこう遠回りになるし、なによりお互い地図が手元にない状態で英語でそれだけのことを理解してもらうのはなかなか骨が折れそうだし。けっきょく妻は「うーん……あっちの方」と方角を指さして済ませたとさ。
僕も梅田で道をたずねられたことは何度かあるけど、だいたいのところ説明に困る。地下街だとさらにお手上げだ。阪神のいちばん西側の改札のあたりで、白人男性に英語で「御堂筋線に乗りたいんだけど!」といわれたのがナンバーワン困った経験。まあとにかくついてこいやといって、案内表示があるあたりまで連れてってこの赤い丸を目印に進んでいきなさいとゆったけど、そういうのに頼らずぜんぶ英語で説明しなさいといわれたらぜったい無理。ていうか日本語でも無理。堂島のジュンク堂で、旭屋書店の本店にはどう行けばいいでしょう?って日本人に訊かれたときも困ったなあ。
そう考えると京都で暮らしていたときはらくちんだった。外国人に道をたずねられることも多かったけれど、ゴーストレートダウンジスストリートフォーほにゃららブロックス、メイクアライトアンデュールシー……という英会話例文がそのまま使えるつくりなのだ、あの升目の町は。それでも不安だったら、通りという通りに名前がついているので、それを使って説明することもできる。ただ、そういったある種の均質性は、京都の町を直観的に把握することを逆にむずかしくさせているともいえるんだよね。言語化することによってはじめて風景が浮かび上がる、いにしえのプラスチック・シティ。