寄せ植え、名付け再考、鴎外の土曜日

靱公園で開かれている植木市へ。うちの植木は現在のところ、紅葉、桜桃、柊、金柑、欅(豆盆栽で、夏のあいだにうっかりして葉を枯らせてしまった)、それから多肉植物の寄せ植えがある。見てのとおり花を楽しむための植木がまったくないので、百日紅か女郎花あたりがほしいなあと思って行ったんだけど、残念ながら適当なものは見当たらず。妻がハーブの寄せ植えがほしいようというので、スウィートバジルとローズマリーとパセリの株、それから適当な鉢があったので購入して家で植え替え。花はやってこなかったけれど、部屋の窓から見える緑が増えるのはやっぱりいいもんだなあ。
ふたたび名付けのはなしから。中国では乞食のこと、うふふ、なんて武田泰淳のようにかわいこぶる大人の余裕もなく、うんうんと考えているところですよ。「なんかさー、小説で出てくるかわいい名前とかないの?」といわれたので思い出してみる。そうだなあ、“鳰子”って谷崎潤一郎の「台所太平記」にも野溝七生子にも出てくるけどかわいいよね。でも実際つけるとなると、あんまり鳥の名前にちなむのはよくないともいうし。野溝さんといえば“阿字子”ちゃんがいいけど、ちょっと元ネタはっきりしすぎで気恥ずかしい。そうそう、森鴎外の「ぢいさんばあさん」に出てくるばあさんの名前、“るん”もなかなかいいと思うんだけど、どうかな。

 二人の生活はいかにも隱居らしい、氣樂な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を讀む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀劍に打粉(うちこ)を打つて拭く。體を極めて木刀を揮(ふ)る。婆あさんは例のまま事の眞似をして、其隙には爺いさんの傍に來て團扇であふぐ。もう時候がそろ/\暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあふぐうちに、爺いさんは讀みさした本を置いて話をし出す。二人はさも樂しさうに話すのである。

青空文庫にあったので改めて読んでみると、なんとも感想がむずかしい小説である。これは小説なのか?という鴎外の歴史小説を読んだときに浮かびがちな疑問にとらわれるところで消耗してしまい、そこを抜け出すと伊織とるんのひっそりとした生活にきゅーんとなるだけでも構わないような気がしてくる。でも、鴎外がもとにした資料によると“るん”て漢字で書くと“留武”なんだよね。いっきにかわいくない。
しかし鴎外の小説は、さりげなく地名フェチにはうれしい仕掛けがいっぱいで楽しいなあ。「ぢいさんばあさん」は文化期の物語だけどト書きに「石川の邸は水道橋外で、今白山から來る電車が、お茶の水を降りて來る電車と行き逢ふ邊の角屋敷になつてゐた。」なんて、さらりと入ってるのがいい。「大塩平八郎」なんて古地図見ないとわかんないような話だし、歴史ものだけじゃなくて「雁」の一節なんて本当にしびれる。

 岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。これが一つの道筋である。或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖されるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋へ降りて、柳原の片側町を少し歩く。それからお成道へ戻って、狭い西側の横町のどれかを穿って、矢張臭橘寺の前に出る。これが一つの道筋である。これより外の道筋はめったに歩かない。

好みの範疇ではあるけれど、こと文体にかぎっては漱石なんて目じゃないのだ。みょうに観念的で空疎な会話を連ねちゃってさあ。おなじ本郷あたりを舞台にしていても、「雁」を読んだ後じゃあ「三四郎」の貧弱な町の風景には、まじでがっかりしちゃうよ。