挫折について考えた木曜日

ハルヒでSFで興味持ったのにディアスポラ買って挫折した
SF・ファンタジー・ホラー@2ch掲示板のスレッド。個人的にはなかなかツボのスレタイである。SF板の地味さ+おっさん力により穏やかな進行。1の人もなかなか愉快である。
そうだなあ、個人的な経験でいえば、高橋源一郎読んでジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」なんかの挫折経験が頭をよぎりますね。きゃー80年代。つうか思想方面を含めたらそんなの数えきれないくらいあるけどな!
SFでいうと、僕はグレッグ・イーガンてぜんぜんOKです。さすがに「ディアスポラ」はきっついし、書かれていることすべてを理解なんてできるわけもないけど、でもイーガンの小説って難しいとこ適当にとばしても読める/読ませるじゃないですか。小説世界を成立させる理論装置は作家によってしっかり描かれているから、逆に装置の中身は読者にとってブラックボックスな部分があっても、勘どころさえ押さえておけば読み進めていくうえでさほど障害にはならないんじゃないかと。ここらへんは他のハードSFと称される作家たち、スティーヴン・バクスターグレッグ・ベアなんかについてもおなじように感じます(ベアはいまいち性に合いませんが)。
それならどんなSFにリーダビリティの欠如を感じるかというと、たとえばP.K.ディックということになりそうです。「高い城の男」<「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」<「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」<<<<<<超えられない壁<<<<<<「ヴァリス」、ていうかんじ? 「ヴァリス」は何度も挫折しましたともよ。あれはつらいねえという人は多いと思うけど、たぶんそのつらさっていうのは、延々と続く神秘主義思想のわけわからんさばっかりじゃないと思うのです。わけわからんだけならブラックボックスとして放っといて先へ進めばいいだけなんだけど、すこし丁寧に読めば個々の記述はわけわからんというほどのことはなく、でもそれを理解すればするほど小説世界を成立させる理論装置としての妥当性に疑問符がついてくる。きもい。おいおい作家を信用して先へ進むわけにもいかなそうじゃないか。というわけでイチから読み進めていかないといけないような強迫観念ていうのかなあ、すげえむだに構築されてるかんじがしんどい。

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)


ヴァリス (創元推理文庫)

ヴァリス (創元推理文庫)