なんか引っかかるとこのあった雑誌

妻に頼まれて「shortcoco」という雑誌をこのまえ買ってきて、これは「spoon.」という雑誌の姉妹誌であり、「spoon.」を読んでる女の子が母親になったときに読むことを想定した大人目線の子どもファッション誌なわけです。表紙はミナ・ペルホネンの洋服でそろえた白人母子。そして僕は「スプーン主婦きもい」と、ガーリーママたちにぬっ殺されそうな問題発言をしたとかしなかったとか。ははは。じゃあ元オリーブ少年のおっさんがちょっと説明してやろうじゃないか。
正直なところ、いい歳しやがってこのやろうと呆れている面があることは否定しないけど、でもそればっかりじゃないんだよね。つまるところは、なんていうか無自覚に過ぎるんじゃねえのかと。「shortcoco」では読者対象とする母親のことを“シスターママ”と呼ぶことを提唱している。そのアダルト・チルドレンぶり(古い)にもいささか鼻白むところはあるんだけど、もんだいは“sister”という言葉の持つ特権性にあぐらかき過ぎというところにある。それ男性にひっくり返すと“ブラザーパパ”ですよ。まあそれだけでイタさが30%ぐらいはアップするわけで、イメージとしてはたぶん彼女たちの理想とするライフスタイルとはずいぶん離れた位置にあるはずの反町VOXYパパに通ずるタームになっちゃうんじゃないのかな。それらを峻別するものがあるとすれば、“sisterhood”と“brotherhood”という単語じたいが背負う歴史的な意味づけってことになるんだろうけど、“sisterhood”であれば正しいとするのはいい加減飽きた(僕が)。
つうか、日本では“sisterhood”という単語が持っていた“brotherhood”への対抗戦略が無視されて、たんなる少女趣味とごちゃ混ぜになってしまったところで、女性であることの特権が肯定されてしまったことにそもそも問題があったんじゃないのか。僕の認識としては、90年代初頭の日本におけるフェミニズムの後退を経て、あえて「ガーリー」への賞揚が現れたと考えている。それは「あえて」というところで十分に頭のよさを感じさせる選択だと思ったし、それまでにない新しいものだとも感じた。でも10年経ってみると、そこにあるのは「あえて」が微塵も感じられない、たんなる女の子の身びいきになっちゃったんじゃないのかなあ。「shortcoco」にはそんな肥大した自己肯定が感じられて、おっさんにはいまひとつおもしろく読めなかったとさ!