「日本のスリップウェア ― よみがえる英国古陶の美」

3日間ほど実家に帰る妻を新大阪まで送ってから、大阪日本民芸館で開催されている秋季特別展「日本のスリップウェア ― よみがえる英国古陶の美」へと出かける。
とはいえ万博公園に到着すると、なだらかな丘陵に開かれた照葉樹の森がきれいに色づきはじめていて、そこかしこから鳥の鳴き声が聴こえてくるので、まずは持参した双眼鏡をトートバッグから取り出して野鳥の森周辺で鳥見物。とはいうものの、池で確認できたのはアオサギカイツブリ、オシドリ、地上ではスズヒヨムクカラスを除くとハクセキレイキセキレイにとどまる。ずっと曇りだったし、森の中は暗すぎて、そのほかの鳥さんもいるようだったけれど確認には至りませんでした。ハクセキレイ靱公園でもよく見かけるけど、キセキレイをじっくり見ることができたのはうれしかったなあ。白い胸から下腹へかけて黄色くなるあたりがふかふかそうで、すばらしく愛らしい。
祝日というのにけっこう閑散とした公園内を歩いて、大阪日本民芸館へ。展示室に入ってぐるりと反時計まわりに進んでいくと、濱田庄司、河井寛次郎、冨本憲吉、バーナード・リーチらの英国スリップウェアに影響を受けた第一世代、そしてその後を受けた武内晴二郎、船木道忠・研兒父子、一転して18〜19世紀の英国スリップウェア、そして最後に柴田雅章、藤井佐知らの現在に至る作品が見られる構成になっています。
で、最初はね、ちょっとあれ?て思ったんですよ。濱田、河井、富本らの作品が、これまで印刷物などで見ていた印象よりずいぶん重い。ふーん……と思いつつ、けっこうな数が展示されている武内さんの大皿・大鉢に進んでいくと、なんかさらに重い。あんまりぴんと来ないなあ。という印象は次の英国招来の古陶によってがらりと変わって、なんかごちゃごちゃしてるけど(筒描しすぎ!みたいな)全体としてはなんていうか気張りやプレッシャーみたいなのがまったくない。そしてつぎの現存作家たちの作品も、それに通ずる軽やかさに満ちている。そいであらためて最初から見てみると、濱田や河井の作品ていうのは、よく見ればたとえばスリップには彼ら独自のきらめきみたいなのがあるんですけど、器の造形じたいがなんか不自然に英国古陶に引きずられているような気がするんですね。もちろんこれはその後の彼らの天才的な造形感覚に裏打ちされたマスターピースたちと比較してしまっているという、こちらの先入観もあるんだろうけどさ。
とはいえ、誰もいない展示室をうろうろするのはとても幸せな時間でした。個々の作品に対する解説の文章というのはほとんどなかったのですが、スリップウェアに関する濱田庄司のエッセイが掲示されていて、リーチとともにセント・アイヴスでスリップウェアの手法を試してみていたころの思い出をつづったものです。ちょっと出来すぎな話のような気もするけど、鮮やかに視覚に訴えるしゃれた文章ですね。

大體これで技術的には解決したし、又不器用な英國人のことではあり、決して難しいことでもあるまいいと想像はしたものの、さて實際になると解つてゐる筈が矢張りうまくゆかず、暫く行き悩んだまゝになつてゐたところが、偶然あるお茶時に、パンにブラツクベリーのジヤムを塗つて、濃いクリームを横縞に流し、何氣なく竪にナイフを入れたら、思はず私達は聲を擧げ手を拍いた。忽ちナイフの目に従つて、白と黒との矢羽根型のスリツプ模様が出來上つたのだ。今迄難しかつたこつはスリツプの泥漿の濃さの問題だつたので、手製のゆるいジヤムと地元の濃いコーニシユクリームとが期せずして程度を示してくれたのだ。私はその後今に引つゞき、日本の土や釉を使つて、趣こそ違へしばしばこの手法を繰返し、ジヤムとクリームの恩をうけてゐる。
英國雑器」、『工藝』第二十五號(昭和八年一月発行)

ちなみに第二展示室では、濱田庄司の作品が100点ほど併設展示されています。うっとり……。