コウノトリ

大阪市史編纂所から刊行されている「大阪市史史料」は、「大阪市史」編纂のために収集された史料を翻刻して1冊の本としてまとめているシリーズです。その第24輯「近世大坂風聞集」を、先日万博公園に行った帰りに寄った江坂の天牛書店で買ったんだけど、ひまつぶしには持ってこいのおもしろさでした。この第24輯には、「至亨文記」「あすならふ」「あすならふ拾遺」の3つの史料が収録されていて、これらはすべて江戸時代中期の世間のできごとをまとめた風聞集なんだけど、天変地異、災害、大火、米の需給、金銀銅の流通などの、まあ現代のことばでいうならば社会経済問題にまじって、ちょこちょこ載ってる平和な小ネタ(朝日新聞でいうならば朝刊社会面の「青鉛筆」欄くらいの)がいいんだなあ。たとえば、鶴の巣ごもりに関する記述がいくつか出てくるんですよ。

(延亨)元年、摂洲長柄にて鶴すこもり大評判。大阪其外、近郷・近在・諸国より、見物参る事夥敷事、いわん方なし。(p.22)/(寛政元年)伝法正蓮寺鶴巣籠。(p.85)/(寛政七年)安倍野にて、鶴巣をくミ申候。是も掛茶屋夥しく、見物市をなし。(p.63)

タマちゃんやナカちゃんできゃっきゃっと騒いで楽しむ現代とまったく変わらない様子がうかがえます。茶屋までつくって。
ただしこれはご存じの方も多いと思うけど、これらの記事も含めていわゆる「鶴の巣ごもり」と記されたものが示す“鶴”とは、じっさいには鶴ではなくコウノトリだったと推測されています。いいかげんな掛軸などでは松に鶴というのがめでたい図柄のひとつとされていますが、これは自然にはまずあり得ない光景です。コウノトリは比較的人里に近いところでも松の木などに巣をかけることがあるので、これがずっと鶴に混同されてきたのだろうというのが定説となっています。上の引用には出てきませんが、江戸期の伝法正蓮寺には大阪湾を行き交う船が目印としたほどの松の大木があったことが知られているので、コウノトリもその松に巣をつくったのかもしれません。しかし、大阪でコウノトリ……。ウラヤマシスですが、そんなに人を集めるほど評判になるというのだから、当時でもこれはめずらしいことだったのでしょう。