ストップ・モーションの日曜日

休日の朝だけれども阪神高速は快適に流れて、家を出て30分かからずに兵庫県立美術館に到着。目的は「ビル・ヴィオラ はつゆめ展」。
じつは妻は無類のビル・ヴィオラ好きである。たしか結婚前には、あんまりこんな機会なんてないのよ、とかいわれて、デートよりも愛知芸術文化センターでの作品上映を優先されたような記憶がある。今回の展覧会もずいぶん前から楽しみにしていて、ほんとうなら3月のビル・ヴィオラによるアーティスト・トークも聴きたかったみたいだけど、そのころは出産準備のために実家に戻っているはずだからしょうがないね。
今回展示されていたのは、1981年に日本に滞在して撮られた「はつゆめ」、それ以外はここ10年くらいのあいだに製作された作品たちです。「はつゆめ」が素材を選ぶ(あるいは素材に選ばれる)こと以外に、ほぼ演出らしきものなしで撮られた静謐な作品に仕上がっているのと対照的に、最近の作品群は、水がバシャーってかかってきたり、「絵画的な方向へ向かった」と評される構図や陰影の質感など、ギミックやスペクタキュラーな要素を持ったものに仕上がっています。ひとことでいうと、わかりやすくなっているというわけ。このわかりやすさに苛立つ人がいるんだろうなあ、ということは容易に想像できるんだけど、でもそれってテーマ主義に振り回されてる気配もなきにしもあらずなんじゃないの?と思ったりもします。
ビル・ヴィオラの作品を、ストップ・モーションによって不可視のものを可視化させる面において特徴づけるとしたら、僕が興味を持つのは、可視化されてしまったものではなく、可視化されてしまうその瞬間なのです。秒間24または30コマで撮影される通常の映像、または大きくいえば人間の知覚能力からこぼれ落ちるものが、むくむくと姿をあらわすところがおもしろいのです。まあ、このへんは僕のアニメーションに対する鑑賞姿勢と相似形なわけで、それはそれで悪しきオタク的態度ですよといわれればそのとおりだけどさ。
家に帰ってしばらくしてトイレに入ると、壁のポスターが妻によって「はつゆめ展」のものに貼りかえられていて驚いた。そこまで好きかー!

ビル・ヴィオラはつゆめ

ビル・ヴィオラはつゆめ