おぼれる月曜日

3日連続で泳いでしまった。プールきちがいです。

プチグラパブリッシングから刊行された「あたらしい教科書11 民芸」が、しゃくだけれどすごくよくまとまっている。初心者はもちろん、民芸に関心のある人だったら何かしら得るところはあるんじゃないだろうか。「おしゃれ系からのアプローチかよ……」なんて食わず嫌いでスルーすると損するんじゃないかなー。

監修の面子も豪華だ。出自に触れるのが遠慮されるくらいに旺盛な執筆が目立つ濱田琢司、「来鳥手帖」「来森手帖」の福田里香ランドスケープ・プロダクツの中原慎一郎、BEAMSバイヤーの北村恵子&テリー エリス(BRUTUSの器特集号巻頭記事に掲載された写真で民芸ファンをもだえさせたあの2人です)、D&Department代表のナガオカケンメイ

第1章で民芸の思想と歴史を概説し、第2章で主要な民芸作家について触れ、第3章で監修者たちにセレクトされた「新しい民芸」と題するプロダクトを紹介するという構成。1章と2章はまさしく教科書的な記述にあたる部分なわけだけれども、平易を心がけたといいつつ、決して平面的な解説には終わっていないところがいい。たとえば、「用の美」は機能性を最重要視した概念ではないという解釈をとるなど、その詳細については紙幅のつごうもあって消化不足というか言葉足らずな面は否めないけれど、ラクして書いてないな、という姿勢に好感が持てる。

3章の「新しい民芸」では、福田さんがおなじみの山ぶどうの手提げかごや、こぎん刺しの平袋を挙げていたり、北村&エリスさんがアアルトのスツールと並んで出西窯の丸紋土瓶を選んでいると、オーソドックスな民芸陶器もまた違った見え方をしてきたり、中原さんがLOOPWHEELERのスウェットを選んでいるのにはその手があったかと唸らされるし、……どうよ!

とまあ、そのほかにも各所に示唆に満ちた文章が溢れています。そのなかから、ひとつだけ引用しておこうかな。

民芸運動家から見ると民芸から外れているものでも、民芸と呼べるものがあり、そういう見方にも価値があると私は思います。例えばジャムの空き瓶や、なんでもないパン屋の袋がかわいいとか、そういうこともとても民芸的な目線だと思います。日常のものに美しさが宿るという考え方、それがだんだん変容してきているのではないかと考えています。そういった意味では、民芸が女性文化の美の解釈を楽にしてきたという側面はあるのではないでしょうか。そして女性が好きなものとか、物の見方を教えてくれたのも民芸だと思います。

柳宗悦をはじめとするオルガナイザーたち、そして実作の花形である陶芸家たちのほとんどが男性であるため、ややもするとこれは忘れてしまいそうになる視点かも。民芸を構成する重要な要素のひとつが「見立て」であるというのは、この本で幾度か主張されている。この点については、ことさら民芸に限った話ではなく、もっとドメスティックな文化論全体に枠組みを広げて語る必要があるんじゃないかと思うので、保留しておきたいんだけど、それでも、本来のコンテクストから切断したところで“生活雑貨”にかわいらしさを発見した少女たちの営みは、たしかに民芸の系譜に位置づけられるもののような気がする。そう考えると、そんな文化を代表していた「olive」の遺産を引き継いだかのように見える「ku:nel」が、現在もっとも洗練された民芸誌としておもしろく読めるのも当然のことなのかもしれない。

民芸 (あたらしい教科書 11)

民芸 (あたらしい教科書 11)