時代をめぐる火曜日

妻の実家にいるあいだ、「fratto」という地元誌が置いてあったのでパラパラと読んでみたんだけど、これがなかなかおもしろかったです。60年代〜80年代くらいにアトリエ・ギルドと名乗って、豊橋市の店舗デザインなどを手がけたチームがあったらしくて、彼らのデザインによる喫茶店を中心にまとめられた記事。
クールかつ主体的に企業社会からドロップアウトした若者にとって、飲食店を開業するというのは魅力的な選択肢のひとつだと思う。90年代末にはじまったカフェ・ブームも、(少なくとも当初は)時代を問わず繰り返されるそんな営みの一環という性格を持っていたはず。そしてインディー・レーベルに相似するようなDIY精神にあふれた彼らのアイデアとこだわりのおかげで、僕たちは従来の方法論に慣れきった喫茶店では味わえないコーヒーや軽食、使い心地のいい器や落ち着ける椅子を手軽に楽しめるようになったわけです。この点について、僕はすごく感謝している。
ただ、どんなものでもおなじことだけれど、成功した先駆者の後には大型資本と安易なフォロワーが入り込み、新しかったものの精神は忘れられて様式化していくことになる。カフェについていえば、ハコにそんな現象が顕著にみられるんじゃないかなー。古いビルの一室や長屋をリノベーションした空間。たしかに落ち着けるし、メニューやサービスといった中身の部分まで一概に否定するつもりはないけれど、こりゃ!カッコいいね!とびっくりさせられることはもうないような気がします。なんか移り気な消費者でごめんなさいですけど。
というのが現在の僕の感覚なので、最初に書いたアトリエ・ギルドのデザインによる喫茶店たちが逆に新鮮に映るということなのかもしれません。紹介されているなかではカフェ・バロックしか行ったことはないけれど、真っ赤な椅子とか、先鋭感を残しつつ、ほどよく枯れているのがいいんだな。あーそうか、よくあるカフェの残念なところは最初から枯れているからかもしれない。アトリエ・ギルドは関係ないけれど、PHONONみたいに新しい店でもいちから作りあげるみたいな気概が感じられるし、そういう意味では地方都市のカフェのほうが楽しいですね。開業資金もままならない若者に、都市中心部でそんな作り込みを願うなんて、ないものねだりだとはわかってるけどね! んーと、ここまでのところをまとめると、いまやカフェにおいてはブリコラージュよりもエンジニアリングのほうがおもしろいんではないか?ということです。
しかし、地方都市のカフェ・喫茶店というのも、なかなかむずかしい存在ではあると思う。というのは、大都市よりも如実にスモール・サークルというか、しかも年齢層ちょい高めというか。僕が高校生のころ、というのは80年代中盤になるわけだけど、やっぱりそういう喫茶店はあった。あったけれども、年齢でいうと30代くらいが中心の彼らが話すことといえば、天井桟敷の思い出話であったり、吉本隆明であったり……、いまとなっては笑い話にすぎないけれど、80年代の高校生にとっては到底がまんできない前時代的雰囲気なのだった。
さて時代はめぐって、いまの高校生もそんなうっとうしさを感じているんだろうか? いろんな音楽や映像がデータ化され、フラットにながめられるようになり、時代というくびきがあんまり意味をなさなくなってしまっているようにも思うけれど、これは30代になった僕が微妙な差異に鈍感になってしまったせいだろうか?