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旅の火曜日

仕事中、携帯電話に妻からメールが入って、「たいへん! 娘が……」という出だしにあせって続きを読んでみると、「……プレイマットで遊べるようになりましたー! (゜∀゜)=3」というオチであった。
それはともかく、なにかそういう本が読みたいとはっきり意識していたわけじゃないんだけど、先週あたり仕事帰りに立ち寄った堺筋本町紀伊国屋書店で何冊か本を選んでいたら、みごとに旅をすることで書かれた本ばかり集まってしまった。そういえばしばらく旅行に出かけてないですよ。
そのうちの1冊が多和田葉子の「溶ける街透ける路」で、これはどちらかといえば旅行記というよりは、多和田さんが2005年から2006年にかけて散発的に訪れた町のスケッチ集といったほうが正確だろうか。ほとんどがブックフェアや朗読会に招かれて訪れた町なので、その町々の書店や、文化行政などのようすがよく描かれている。訪れた町はぜんぶで 48にわたり、ベルリンやパリといった大都市はもちろん、グラーツ、クックスハーフェン、イエテボリ、トロムセ、なんて僕が知らない町もたくさん含まれている。なんか遠い惑星の名前みたいですね。カネット、ペサック、ロイカーバート。そんな小さな町々で、詩人や小説家を招くイベントが行われているというのもすごい。
それらの書物にまつわるできごとや、出会いが、この本で描かれる町の肖像の主線だとしたら、陰影にあたるのが、ところどころに散らばる町の歴史の記憶だといってよいかもしれない。歴史といっても中世にさかのぼるような古いものではなく、冷戦や、重工業施設、あるいは戦争といった、現代の記憶である。「シアトル」には、こんな一節がある。

その中のひとりである日系五世だと言うWさんに教えてもらって、パナマホテルのカフェにも行ってみた。床の一部がガラス張りになっていて、そこから地下室に古びた行李やトランクが置いてあるのが見える。大戦中にコンセントレーション・キャンプに入れられた人たちが置いていった荷物だという。戻って来たら受取りに来るつもりで置いていったのに戻って来なかったのか、戻っては来たけれども取りに行くのをやめたのか。

忘れてしまうというのはけっして悪いことではない。僕だって、なんかダウンになってる人に「ま、パーッと忘れようよ」というような適当な受け答えをすることはあるもんね。ただ、こんなふうに戦争の記憶と同居しつづけるようなねばり強さもだいじだと思う。そういった成熟した精神が、この本にスケッチを収められたいろんな国の町に唯一共通するものなのかもしれない。そして、そんな風景を見のがさず、たんたんと書き留める多和田さんのやさしさが心に残る。

溶ける街 透ける路

溶ける街 透ける路