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ゲームを遠く離れて

ここ数日、娘を沐浴させると泣くことがつづいた。2ヶ月足らずの赤ん坊とはいえ、バスルームで全力で泣かれると耳がなかなかたいへんである。助けて。ずっとしゃべりかけたり、抱っこしたりと、トライ&エラーを繰り返したあげく、歌をうたっているとだいたい機嫌よく風呂をすませられることを発見したしだい。
この瞬間、タタタターン・タタタ・タタタ・タタタ・ターンと頭のなかで鳴り響いたのは「ドルアーガの塔」のフロアクリアのSEである。宝箱を出現させる方法がこれでいいのか確信はもてないけれど、とりあえず出たし、まあいいか。1984年の夏にいろんな町のゲームセンターでクリアを目指したみなさんは、こんなふうに子育てをしているのだろうかと感慨ぶかい。たぶんアーケード版にはまった世代としては、1970年生まれの僕が最後尾くらいだろう。熱かったよ、俺たち。
って、あからさまにゲーム脳ですいません。しかし、いうまでもないことですが、ビデオゲームというのは基礎的な問題解決能力を伸ばすためのすぐれたツールなんだけどな。与えられた課題が何であるかを把握し、対象物を十分に観察してアルゴリズムを理解し、どのようにすれば解決に近づけるかを考え、試し、成功したら検証する。うわー楽しい。ゲームという舞台じたいに楽しさを感じられないひとはしょうがないけれど、なんで21世紀にもなってこういうのが悪いことであるかのようにいわれるのか謎である。仕事でいうPDCAサイクルとかと変わんないじゃん。
まあ、ゲーマーのひとは、それ以外の領域においても概念をコード化しすぎるきらいがあるという批判があれば、それはそれでわからないでもない。子育てってそういうものじゃないでしょう、とか。でもね、それはやっぱり全世界をコード化してみるという無謀な努力をしたうえで、愛しく発せられることばであるべきじゃない? 「テクストの快楽」を読むのなら、前期のロラン・バルトを読んでからのほうがいいよ、なんていうとクラシックな教師的態度にすぎるかもしれないけれど。

ナムコミュージアム Vol.3 PlayStation the Best

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