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公園はだれのものか?

このまえ娘をベビーカーに乗せて靱公園を散歩しているときにあらためて気づいたんだけど、リードでつながれないで歩いたり走りまわったりしてる犬ってけっこういるんですよ。さすがに大型犬を放してる人はいないけど、小型から中型までいろいろと。で、そういう犬がベビーカーのわきをすたこらさっさと追い抜いていこうとすると、やっぱりこれは警戒してしまう。シーズーとかチワワ相手でも。ワレなめた真似したらただではすまさへんでと、ぐっと身体に力を入れて、いつでも蹴とばせる体勢をととのえる。
犬好きの人、読んでて気を悪くされたらすいません。以前は僕も、ルールがあるなら守ったほうがいいけど、犬だってフリーに走りたいときもあるだろうし、べつに四角四面に目くじら立てなくてもなあ……と思っていたので、われながら過剰反応というか、感じかたの変化に驚いている。
こどもを守らなければならないんだから当たり前じゃん、といわれればその通りなんですけど、なんだろう、こどもという他人を媒介にして必要以上の排他思想というか、独善というか、そういうのがじぶんに現れそうでこわい。いやー、これはまじでこわい。「僕はいいんだけどね、ほら、やっぱり気にする人もいるっていうか」、まるでだめ上司の言いぐさだ。
2006年1月、行政代執行によってホームレスたちがこの公園から強制排除された日のことについて、僕はずっとうまく考えをまとめられないでいる。家のベランダから見える入り口はすでに数日前から封鎖されていたけれど、前夜になって市の職員だか警官だかが警備に立ちはじめ、朝起きるとすでにヘリコプターの飛ぶ音が何重にも低く響いていた。仕事に出かけて夜になって帰宅したら、すでに周辺は静かになっていて、新聞を読んでその日の顛末を知ったのだった。
数日間、日記の下書きをこねくりまわしたけれど、結局うまく書けなくて消してしまった。ただ、いたってシンプルな結論だけを書いておくと、野宿者たちが排除される根拠となった公共の利益というものがなんであるのか、僕にはもうひとつ掴みきれないものがあったのですね。で、それは現在もわからない。ひょっとして娘がもうすこし大きくなったら実感できるようになるのかもしれない。ならないかもしれない。いまの時点でのじぶんの考えを書き残しておこうという、ただそれだけの話です。これは。
野宿者の排除を経て整備工事がおこなわれた靱公園は、視線をさえぎる植え込みなどが刈られてしまったせいか、鳥の種類が減ってしまった。冬でもシロハラなんてぜんぜん見なくなってしまったもの。やたら人も多くなったし、整備されてよくなったことなんてあるのかなと思っていたけれど、ベビーカーを押す身になってみると、園内の道が固められたおかげで楽ちんなことはまちがいなく、なんていうか立場の変化ってあなどれないよ。
あとぜんぜん関係ないですけど、会社の同僚の椅子のきしむ音が娘の泣きはじめの声におそろしいほどに似ていて、その椅子がきしむたびにはっと身がまえるかちょうさんであった。