本を読むこと、モテること

朝はシャツをクリーニングに出しがてら、新なにわ筋のmarthaでモーニングセット。パン、野菜スープ、青菜と厚揚げの和えもの、それから柚子ヨーグルトとコーヒー。置いてあった日経新聞を読んで、最近の朝日新聞の劣化の激しさ(主張の内容ではなく、企画編集の技術という意味で)に少々うんざりしていることもあって、購読を乗りかえてみようかなあと思う。チラシもあんまり見ないし。
昼からは本棚の整理。ここのところずっと、本を読む時間が少なくなっていることについていろいろ考えていたのでした。本を読む能力が減退しているから本を読まなくなるのか、本を読まないから本を読む能力が減退してきているのか、ちょっと判断に迷うところだけれども、読む本の冊数、読む能力ともにずいぶん減っているのは、まごうことなき事実のように思える。うーん、こんなことでいいのだろうか。体重が15kg増えるのも、高脂血症の診断がくだされるのも、妻に「最近けんちゃん臭いよね」と云われるのも、まったくモテの気配がなくなってきたことも、まあ中年だからしょうがないよと笑って看過してきたわけですが、まさか本を読まなくても平気なときが自分にやってくるとは……。
1冊の本を読むことで、ぎゅっと言葉を手づかみにし、文体の織り成すあやを味わい、構成を手許にぐいと引き寄せ、姿をあらわす思想にうっとりする、そんな読書体験が僕にもあったはずである。けして高いレベルでとは云いがたくとも、しゅるしゅると糸を引き出すように、作品を理論的に歴史的に位置づけて語ることだってできたし、あるいはそんなのとはまったく関わりのない偏愛を語ることだってできた。そして新しい鉱脈を探すことはむずかしいことではなく、導かれるように進めば、掘削するまでもなく読むべき本はいくらでも見つかった。それがどうだろう、いまのこの体たらく。
などと非常に危機感をおぼえていたのですが、本棚の整理をしているうちに、どうもそれって嘘くさいなあと思えてきた。まったくたいした本を読んでいないじゃないか。じぶんを美化しすぎ! なんだか年をとると、じぶんが、ぎりぎりでとんがった生き方をしてきたような気がするときがあるけれど、それはまったくの錯覚である。そりゃあ現在よりはたくさんの本を読んでいたかもしれないけれど、その倍以上の労力をモテるためとか、形而下的な欲望のために費やしていたはずである。いや、ややもすると、モテるために本を読んでいた節すらあるんじゃないのか。まったくの勘違い野郎である、いやらしい。
なんてことは思わずに、初心に帰って、数日前に買ったエルマガ最新号「書店カルチャー!?」を読み返してみた。これも読書モテを追究するための特集であろう。まだまだ現役としてがんばっていきたい所存である。

Lmagazine (エルマガジン) 2007年 10月号 [雑誌]

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