雪見のうどんすき

実家の両親が来阪。朝からふりはじめた雪はどんどん勢いを増して、昼を食べに出かけるときには道路はぐしゃぐしゃのみぞれがたまった状態に。美々卯本店の個室座敷で昼から燗酒にうどんすき、すこし部屋が暑くなってきて障子と窓を開けると冷気が床にひろがって雪空が見えるという、ひじょうにオツなシチュエーションでした。雪をおして食べにいった甲斐があったねー、あれは。娘にもうどんすきを細かくして食べさせてみたら、どれもこれも食べる食べる。ふだん気まぐれな離乳食の食べっぷりに悩まされている妻は打ちひしがれておりました。やだなあ、ちがいのわかる赤ちゃん。
そういえば、うどんの話の続きを書いていなかった。美々卯のうどんすきのうどんは僕にとってパーフェクトなうどんのひとつである。だって太いから。杉浦明平は「カワハギの肝」の中の「うどん」という文章で、年々やせ細るうどんについての不満を述べた後に、美々卯のうどんについて触れている。

辛抱できる太さとは、だいたい割り箸の太さであろう。それ以上の太さがあってこそ、はじめて、ほんとうのうどんといえよう。大阪の美々卯のうどんすきは、名古屋山本の味噌煮込みと同じように、なかなかのご馳走だけれども、うどんそのものの味をたのしむのとはちがっている。ただし、うどんすきの最後に鍋に投じられる生うどんは人差し指くらいの太さがあった。これがうどんだという太さで、しかも、つゆはうまく、鍋の中で煮たのをすぐ食べるのだから、すべての条件がそろっているが、ほんの一口で終ってしまう。そこで、べつの機会に、美々卯で、すうどんか何か一般のものを注文したら、どこの店とも変わりのない細く、うまくないうどんが丼の中に浮いていた。

カワハギの肝 (光文社文庫)

カワハギの肝 (光文社文庫)


美々卯と並んで山本屋を挙げている時点で、すでにマイうどんソウルメイト。うどんは太いほうがよい、これは一片も欠けることのない真実である。明快すぎる。それなら讃岐うどんでもいいんじゃないの?と云われると、途端に歯切れが悪くなるのですが、……うーん、とくにここ10年くらいの讃岐うどんブームには功罪どちらもあって、太いうどんを復権させた功の面は認めつつ、ぶっかけだの釜玉だのきじょうゆだのを、うどんの持つおいしさを味わう最上の方法と多くの人に誤解させてしまった点については、徹底的に断罪されねばならないと思う。もちろん、じぶんちで湯掻いたうどんをうまく食べる方法としては有効だろうけどさー。そんなんが最高にうまいうどんというなら世にうどん屋なんていらんのじゃ! そういう誤った認識を持っている人は、たとえば道頓堀の今井のだしで顔を洗って出直してきてほしい。
ちょっと辛口になっちゃってすいません! また続く(かも)。明日朝早いので、というか休日なのにつくば日帰り出張……。