猫と速度

「遅いことなら猫でもする」ということわざをご存知だろうか? こどものころ、ずいぶん両親から云われた記憶があるんだけど、どうも三重県北部特有の云いまわしらしいですね、これ。しかし、ひねりがないというか、ことわざにしては含蓄がないというか。云われたほうもよくわからないまま、「猫は遅くない!」などと、とんちんかんな反論をしてしまうわけである。
今だったら、もうすこし論理的に反駁することもできる。「あのですね、僕はやろうと思えばもっと早くことを済ませることもできるのです。ただ、ここでの僕の主眼は目的の達成ではなく、行為じたいに潜んでいる快楽を味わうことに置かれているのです。僕はあなたたちに問いたい。本を読むのは早ければよいのか? ファックは早ければよいのか? そうじゃないでしょう?」
ああ、まったくそうじゃない。かといってファックは時間をかければよいというものでもないらしいですけど。それはともかく、この正論を述べれば、当時の両親が納得してくれたかというと、そうでもない気が最近してきているのだった。
「遅いことなら猫でもする」というのは、たぶんこどもである僕に云い聞かせるふりをしながら、じぶんに向けて云っていたのである。ことほどさように、人の親というものは時間がない。妻の育児休暇も終わりが近づいているし、そうなればさらに気ぜわしい毎日となることだろう。いま僕に求められているのはスピードである。ノーゆっくり。ノーのんびり。ノーぼんやり。