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「親馬鹿読本」

このまえ「山田風太郎育児日記」(asin:4022501987)を読み返してみたところ、こどもが傍にいるいまになって読むほうがおもしろいのだった。やはり本を読むにもタイミングというものがあるということで、満を持して買ってみたのが「親馬鹿読本」である。獅子文六金森徳次郎吉川英治、奥野信太郎、近藤日出造尾崎士郎大宅壮一徳川夢声による、親馬鹿ぶり満載の育児エッセイ。いまこれを読まずしてなにを読めというのか。

扉の挿絵がかわいい。
馬鹿に良し悪しをつけるのも馬鹿らしいはなしだけど、獅子文六の馬鹿ぶりには感服させられた。ほかの人たちがみずからの馬鹿ぶりにどこかしら後ろめたさがあったり、こむずかしいエクスキューズを書いてしまったりするのに対し、獅子文六は馬鹿であることにまったくためらいがない。さすがこの本のなかでも最年長、還暦で一児をもうけると怖いものがないのだろうか、馬鹿のアクセル全開である。

 まだ、生まれてから七日目の柔かい脳や神経に、あの閃光の衝撃が、どんな影響を起こすか。失明をしていやしないか。それほどでなくても、甚だしい神経過敏の子になり、僅かな物音にも怯え立つようになるのは必定ではないか。なぜ、そこに気がつかなかったか。カメラマンが接近するのを、なぜ阻止しなかったか。なんというダラシのない、不注意な父親であるか。若い父親ならイザ知らず、年の手前、恥ずかしくないのか。それでも、父親の名に甘んじているのか―
 私は、急に暗黒に突き落とされ、すっかり、世の中がツマらなくなって、大磯へ帰ってしまった。

病室でお七夜のお祝いをしているところに雑誌社の取材がきて、息子の写真を撮られたときのこと。いろいろ心配するところもよい塩梅に馬鹿だけど、うちに帰っちゃだめだよ。

 近頃はまるで“御免候え”というような手付きで、カップを押し戻すばかりでなく、なおも強制すると、パッと払い除けて、私の膝も胸も、牛乳ダラケにしたりする。
 ―困ったな。
 私はシミジミ、そういう時に嘆息する。そして、どうやら、トーストパンの2/3を食べ、牛乳の1/2を飲んでくれた時には、ホッとして、書斎へ行くのであるが、その時に、朝ッパラから、ヘトヘトになっている自分を発見する。すでに原稿五枚分位書いた気持で、机に向かうのだから、いい仕事ができるわけはない。

わかるのう。獅子にできないのなら、僕にいい仕事のできるわけがないよ。そもそも獅子は昭和30年ごろにして、赤ん坊がパンに飽きてきたらチーズをつけ、チーズに飽きたらマーマレードをつけてあげてなどと書いている。ぜいたく……そういう馬鹿だいすきだ。
でも、最後らへんでちょっとほろりとさせられるのですね。

 われながら、私はよく子供の世話をする。これは、私が文筆業という家内手工業者であり、朝から晩まで、家にいるためであろう。そして、普通の父親の倍も三倍も、子供と共に時間を送るから、サキは短くても、実質的には長いといえるかも知れない。

 そんな時間のうちの一瞬が口絵写真に収められていて、とてもいい写真だと思います。

親馬鹿読本 (1955年)

親馬鹿読本 (1955年)