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祈る

娘がディック・ブルーナの『ようちえん』をとことこ持ってきて、うんしょと僕のひざに座る。そんで読み進めて、「はじめに うたを うたいましょう。みんなの すきな きしゃのうた」「しゅっしゅっ ぽっぽ しゅっぽっぽ」というところまでいくと、(あっ)という顔をして、おもちゃの汽車セットをとことこ取りに行って遊びはじめる。最近の興味ぶかい行動パターンである。
最初にこれをやったときは妻とふたりして「かしこいねえ」「えらいねえ」と誉めそやしたものであり、それで得意になって繰り返しているのかと思いきや、なんかむずかしげな顔をして黙々とレールの組み立て作業に没頭しているので、そういうわけでもなさそうかとお見受けする。
思うに、汽車のおもちゃで遊ぶための彼女なりの儀式として、絵本を読んでもらうという過程が必要なのではないだろうか? 汽車の神から、汝遊びたいならしゅっぽっぽの歌を唱うべしという宣託を受けているのかもしれない。ある種のお祈りともいえる。遊びたい→じぶんではまだうまくしゅっぽっぽが歌えない→しゅっぽっぽ歌ってと言葉にすることもできない→『ようちえん』にしゅっぽっぽの歌がある→読んで。お父さんはこのような流れを推測するが、どうか?
僕もうんと小さいころは、いろんなものに祈っていたような気がする。小さな生活は祈りと結びついていた。はたから見ればどんな非論理的なものであろうと、いくつかの決められたステップを踏まないと物事は進まないものだったし、それが途中でくずれると、この世の終わりのような絶望感に襲われたものである。そんなことを思い出せば、僕も娘とともに、汽車の神に祈りをささげるのにやぶさかではない。汽車の神よ、いつのまにかレールが1本足りなくなってるんだけど、あなたは行方をご存じか。
Halloween 2008

ようちえん (子どもがはじめてであう絵本)

ようちえん (子どもがはじめてであう絵本)