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僕とフォークロア

きのう堀江のあたりを自転車で走ってたんですよ。そしたらいろいろ飾りのついたぼろっちそうなスウェードのブーツ(でも実際にはぼろくない)を履いた女の子ふたりぐみが歩いてたんで、「ああいうマタギが履くようなブーツが流行りなのかね?」と妻に尋ねると、かすかに軽蔑のまなこを僕に向け、「まあ、いわゆるフォークロアというやつよね、ああいうのも」との回答であった。
うわー、出たよフォークロア。お父さんにとってファッションにおけるフォークロアとは年来なぞの単語である。音楽におけるオルタナティブ、蓮實重彦における魂の唯物論的擁護とおなじくらい、考えてみると、よくわからない用語。なんなのそれ。「民族調のあれがあれであれなわけよ」さっぱりわかりません。「ようするに、ナウシカみたいなのってことですかね?」と尋ねると、いやだいやだ、これだからオタクは、とそっぽを向かれた。
結局フォークロアのなぞは解けないままであるが、僕にとってなにがなぞかというと、ことばの本来の意味からすれば、世の中にフォークロアでないものなどないんじゃないのというところである。
僕はわりと古いタイプの洋楽リスナー、つまり英国や米国のポップ・ミュージックに軸足を置いて音楽を聴いてきた人間だけども、こういう人に対して、べつにいやみとかのつもりはないんだろうけど、わたしはもうちょっと生活に密着した音楽が好きなの、などとのたまうひとがときどき存在したわけです。えーなにそれ。僕の好きな音楽だって、いい歳こいたグラスゴーのレコ屋バイトのあんちゃんとか、そういうひとの生活の歌だよ。しかしそういう意見はあまり通じない。そういうのじゃなくてね、もっとダウン・トゥ・ジ・アースな世界のことを云ってて……。地面から浮いて生きてる人間なんていねえよ! というかんじでふんいきはちょっとおかしくなり、ほどなくさえない飲みの席はお開きとなるのである。音楽の話で女の子とけんかするとか、いま考えるとばかみたい……。
ともかく、そういう、だれにだって生活とか民族とかはあるはずなのに、フォークロアっていう一般的なことばで特定のジャンルを指し示すというのは、どうも僕にとっては収まりが悪いかんじがするという話でした。ちなみに僕は妻の服装に対して、「そのジャケット、祭り太鼓っぽいね」とか「きょうのお母さんはカメレオンぽい」など、具体的な感想を試みているけれど、あまり評判はよろしくない。ほんとうにお父さんはセンスゼロだよ!とか、最近ひどい云われようです。