思い出されること

近鉄特急に乗って、日帰りで実家へ行ってきました。正確にいうと実家ではなくて、父が入院している病院へ見舞いである。昨年末に心筋梗塞心不全で入院して、それはうまいぐあいにわりとすぐ退院できたんですけど、こんどは脳梗塞で入院、しかしまあ、このふたつの疾患のコンビネーションを繰り出すひとはままいるのでよしとしよう。検査の結果、糖尿病も併発していることもわかって、華麗なワンツーフィニッシュといった様相である。いやうそうそ、まだフィニッシュしてないよ縁起でもない。
幸いなことにどれも初期のうちに発見されていて、このたびの脳梗塞も直接的な後遺症は残らないだろうというんですけど、一ヵ月半のうちにここまで病気にとりつかれてそこそこ元気なひともめずらしいのではなかろうか。ちなみに父は5年まえにがんもわずらって、けっこうな大手術を受けました。いわゆる三大疾病の完全制覇である。
そんな調子で病気しつつも元気でいてくれたらと思うけど、あと十年後も二十年後もこのままでいてくれると考えるのは、さすがに楽観的にすぎるというものである。残された時間はほんとうに多くはないのだと、帰りの電車のなかであらためて思って、きゅーうと胸が痛くなりました。もうそれ以外の時間のほうが長くなってしまって、父母といっしょに暮らした18年間のことはトンネルのむこうにぽっかり見える景色のように遠く感じられるというのが正直なところなんですけど。それでも幸福な幼年期といったものはたしかに僕にも存在したのだし、じぶんにこどもが生まれてからは特にそんなことを思い出します。
幼稚園に通っていたころ、あれは雑誌かなんかの付録だったのかな? 紙工作のセットがあって、お父さんに作ってもらったほうがええんとちゃうのという母のことばを無視してひとりで作りはじめたものの、すぐに山折谷折をまちがえたり、のりしろを切り落としちゃったりして、もうこれ作られへんて泣きべそをかいて放り出したわけですよ。あっほやなあ、休みの日に直してもらえるようお父さんに頼んどいたげるから。そのころの平日の父の帰宅はまいにち日付が変わるころだったから、そう云ってくれた母に安心してその日は寝たわけ。そんで朝になって目をさましたら、紙工作がびしっと完成してたのです。正直たまげた。僕がミスった部分なんてぜんぜんわからないくらいきれいに仕上がってて、あなたは神かと思った。お父さんが晩酌しながら作ってくれたんよ。母のそんなことばもまともに耳に入らず、とにかくその精巧な出来ぐあいにほれぼれして眺めたおしてから、ようやく父にありがとうと云いにいったのでした。父がなんと応えたかはよくおぼえていない。
おなじようなシチュエーションに僕が遭遇したとしたら、仕事でくたびれて帰ったあとにそんなふうに振る舞えるだろうか。休日までの数日のあいだ、元に戻らないかもしれない紙工作のことを思い出して娘が悲しいきもちになるんじゃないかと、きちんと想像できるだろうか。まあ、そのへんは僕が幼年期を美化しているだけで、父はたんに酔っぱらって手遊びにちょきちょきぺたぺた紙工作に手を出しただけというオチなのかもしれませんが。そのへんじっさいのところはどうなのか、ほかにもまだ聞いておきたいことはいろいろあるので、もうしばらく生きていてほしいと願う。