現代詩と育児

平日の夜はひとりで歯みがきをすることが多いので、本棚の本をぱらぱらめくりながらゆっくりとみがく。当然ながらきちんと読むんじゃなくて、ぱらぱらめくる。読書ならぬ捲書。このまえ1986年刊行の『現代詩の展望』(思潮社)をめくっていたんですけど、黒田三郎の「夕方の三十分」という詩がなかなかいいなと思いました。父親と娘の出てくるかわいらしいやつ(参照)。収録の詩集『小さなユリと』がほしくて、ためしに検索してみたところ、Amazonのマーケットプレイスで96,000円でした。なんだそのむりなお値段は。
しかし以前はまったく視界に入っていなかった類の詩だなーと、感慨を新たにする。立場が変われば読みかたも変わるというのも皮相的な話ですけど、逆にあまり感心しなくなる詩というのもありますね。堀川正美の「経験」とか。金井美恵子もエッセイのタイトルに用いた有名な一節、「明日があるとおもえなければ/子供ら夜になっても遊びつづけろ!」というのは20年前の僕にとっては震えるアジテーションだったけれど、いまはそういうの困るわけです。こどもは夜になったら早く寝れ。娘の寝かしつけに2時間近くかかっている妻がこんなフレーズを耳にしたら、激怒することであろうよ。