めしとおっぱい

母性とか父性とかいわれるとうんざりするってほどじゃあなくても、不用意にそんなことばを使う人には苦手なタイプが多いというのも事実ではあります。ただ、強いてこの世に母性というものがあるとすれば、それはこどもにめしを食わせるという一点につきるんじゃないでしょうか。
娘が出されたごはんをあまり食べないとき、僕はそのまま食事を終えることを原則としています。あとで腹へったらそのときなんか食べればいいだろうという考えですね。それよりは、出されたごはんをきちんと食べることを優先させてほしい。しかしこういうとき妻は、すぐにパンやらバナナやらを食べさせるのです。まあ、僕もこどものころはたいがい偏食だったので、めしに教育的指導を持ち込むことのばかばかしさはわかっているし、食べられるものを食べたらいいじゃんというのも一理ではある。でも妻の行動を見ていると、こどもが腹をすかせることに対しての本能的なおそれがあるようにすら思えるんですよね。
ただ、めしについてのこの意識のちがいというのは、うちの夫婦特有のものであって、あまり一般化できるものではないのかもしれません。というのは、うちの娘はほぼ完全母乳で育ったからで、乳児期におとうさんがめしにかかわる機会はまったくなかったからです。一応出産まえはミルクの練習とかしたんだけど、まったく役立てる機会がなかったの。そんで離乳食期はまだ妻が育休中でほぼおまかせだったし。そのあいだに培われるべき「めしを食わせる」という能力が僕には欠損しているのかもしれません。母乳育児にひそむ陥穽だ!
ところでこの夏、僕は上半身はだかで寝る習慣を身につけました。寝かしつけのときに娘がやたらちくびを触りたがって、Tシャツを着てるとめんどうくさいからです。上半身はだかでマグロと化す僕にのしかかってちくびをいじり倒す娘。ちくびが痛くなってきて、うつぶせになって寝たふりをすると、「おっぱい見せてよゥ!」と小突かれます。そして眠りにつき、明け方にまたちくびのあたりに触られ感が……と思いつつまどろんでいると「おっぱいが、いっぱーい」という歌声が聴こえてくる、そんなかんじの父性を発揮しています。
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