ハーメルンの笛吹き男

木曜日の午後から娘が熱を出して、次に僕、それから妻、そして現在は2周めで娘といったあんばいに、連休はすっかり引きこもり一家なのでした。
きのうは娘がミッキーマウス観たいーといってて、こういうときは妻が録画してくれている「グッドモーニング・ミッキー」というWOWOWのプログラムが役に立つのです。古いディズニーの短編をいろいろまとめて放映してるんですけど、何本か観ていると「ハーメルンの笛吹き男(The Pied Piper)」がはじまったではありませんか。「シリー・シンフォニー」シリーズの1編、こんなのも流すんだね〜と思いつつ娘と鑑賞。
しかし、アニメーションとしてのすばらしさはともかく、こどもばんざい的な演出にはすこしばかり鼻白む。この話の結末にはいろんなパターンがあると思うけれど、ディズニーのこのアニメでは、笛吹き男によって導かれたこどもたちが到着するのは岩壁の向こうのおとぎの国なのだから。まあ、ブラウニングによるいささか創作が加わった童話でもおなじ結末が用意されていたのだし、このころのアメリカでの物語の受容がこれによるところが大きかったと見るのも不自然ではないかもしれません。ただねー、ブラウニング版では「ただひとり足が悪かったために取り残されたこども」が見るだけでたどり着けなかったjoyous landについて語るというしくみになっているんですよ。まだ。これがディズニー版では、みんなから遅れてたどり着いたこどもは松葉杖を投げ出して足取りかるく岩壁の向こうの世界へ進み、笛吹き男は地面の松葉杖をぽんと放り投げて岩壁を閉じる、というラストになってるんですね。しかも、ハーメルンでのこどもたちは、そうじや子守りや薪割りなんかの手伝いをさせられていて、それをほっぽりだして笛吹き男についていくっていう描かれかたもされていてねえ……。こいつらかんぜんに笛吹き男にじぶんを重ね合わせてつくってやがる。やっぱディズニーこええ。
おとうさんがそんなことを考えているともしらず、娘は「ミッキーはー? ドナルドはー?」と、知ってるキャラクターが出てこないことにキレてたわけですが。
ところで、「ハーメルンの笛吹き男」が何らかの史実を反映しているということはよく知られていると思います。僕は小学生のとき、あしべゆうほの「テディ・ベア」っていう漫画を読んで知ったんですけど(たしか東部への植民説)、なんかのきっかけで隣の家に住んでる学校教師にせんせー知ってるー?って自慢げに知識を披露したんですね。この馬鹿は。ほんとうに赤面ものなんだけど、隣人はニコニコしながらこんなふうに答えたのでした。けんちゃんすごいね、そんなこと知ってるん。たぶんそんな風になんかの事件が実際にあったんやろうけど、それが笛吹き男の話に結びついたのはなんでなんやろうね? えー、それはよう知らんけど……としか僕は答えられなかったけれど、ただ、そうやって物語のウラにはこんな事実がというレベルの知識だけじゃなくて、なぜそんなふうに伝わる必要があったかというのを考える視点というのが新鮮だったことは覚えています。僕が多少なりとも口承文芸に関心をもつようになったきっかけのひとつ。阿部謹也さんの本を読むのはもうすこし先のことで、学問的な深度はちがっても、「ハーメルンの笛吹き男」については僕にはすてきなふたりの教師がいたのでした。
ハーメルンの笛吹き男 - Wikipedia
ウィキペディアがわりと充実してます。
The Pied Piper of Hamelin by Robert Browning
ブラウニングの「The Pied Piper of Hamelin 」。ケイト・グリーナウェイの挿絵がすばらしい。