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読まれること

娘が寝るまえには絵本を2冊読みます。終わったら灯りを消して布団に入って、お話をふたつ。なにか取り決めをしたわけではないけれど彼女にとってそれは既得権益のもようで、たまに今日は1冊にしようかといってみても、がんとして2冊が要求される。まあ、あれだ。求められるうちが華、くたびれていてもがんばります。
しばらくまえから「おばけのバーバパパ」を何回も読んでいたせいで、ページをめくると暗誦するようになりました。読んでるこっちはちっとも憶えないのに、やーねー。そんでとちゅうで詰まって、小声でなんだっけ、なんだっけっていうから読んであげようとしたらキーて怒られて、やっぱり思いだせなくてギャーて泣く。だれも暗誦してなんて頼んでないのに……。保育園でも得意げにそらんじてたと聞いて、ちょっとハズカシイ。ていうか小さいころのじぶんを見るようでいたたまれない。きみも本が好きになるのだろうかね。
娘の絵本はぜんぶリビングルームに置いてあって、僕と妻の本が収まった本棚とは別にしてあります。本棚の本は勝手にさわっちゃだめだよとしつこく繰り返したせいで、最近では漫画も含めてほとんど手にとることはなくなりました。友沢ミミヨの「まめおやじ」だけはときどきこれ読んでといわれるけれど。断りなしに本棚の本をさわってはいけないというのは彼女がまだ本を乱雑にしか扱えないからで、きちんと丁寧にじぶんで読めるようになったら、べつだんそれを止める必要はない。はずなんだけど、どうなんだろうか、僕たちの本棚には娘に読まれたら困る本なんてあっただろうか。
あまり思いつかないけれど、たとえばとうにどこかへやった町田ひらくの漫画がまだ手許にあったらどうだろう。さすがに娘があらためて本棚に手を伸ばす年ごろになるまえに、処分してしまうかもしれない。この種のことを考えるのは非常にめんどうくさい。べつに12歳の娘がそんなものを読んでいたとしても目くじら立てることでもなんでもない。とはいえ、6歳の娘が僕たちの本棚から取り出して読んでいたとしたら、ちょっとまずいなーという気分になると思う。しかしそのあいだには、はっきりとした線引きがあるわけじゃなくて、不明瞭なグラデーションが横たわるだけです。そもそも12歳ならべつにいいんじゃねえのというのも、たんなる僕の個人的感覚であって、なにか他人への説得力を持つ根拠があるわけじゃない。
臭いものに蓋をするなといわれても、見るだけ見させてほったらかしにしておくというのも心配である。心配というかお父さんの無実を晴らしたい。しかし6歳児になにをどうやって説明すればよいのか。お父さんには幼女を対象とした性的嗜好があるわけではないこと。そもそもせいてきってなんだということ。この漫画には独自のリリシズムがあってお父さんはそれに惹かれたわけだけど、ここで描かれていることを現実に行うとそれは犯罪であったりすること。でもこれは漫画であって、きみは無意味におびえる必要はないこと。お父さんは幼女が好きなわけではないといったけれど、たとえ幼女が好きでもそれだけでは罪にならないこと。幼女が好きで幼女を陵辱するフィクションを読んだりつくったりしても、それで罪に問われるべきではないと考えていること。じぶんあるいはじぶんが属する種が望まない性的な視線にさらされることは不快だけれども、劣らず人生を豊かにしてくれる可能性を持つのもまた性愛じゃないかねと思っていること。もちろん、不快感を表明する権利は十分に保証されなければならないこと……。
考えるだけでうんざりしてきませんか。野うさぎにテーブルマナーでも教えるほうがまだ簡単な気がしてきます。
げんなりした僕が家庭から漫画を追放したとしても、それで誰かに責められることはないでしょう。でも、それが東京都の表通りからその手の漫画をなくしてしまえという行為と、態度としてどこが異なるのかといえば、これもとても線引きがむずかしいところです。公権力による規制だからよろしくない、規制の恣意的な運用が問題なのだというだけでは、僕はじぶんをなっとくさせられないでいて、こんなふうなことをもやもや考えているのです。
繰り返しますが、お父さんは幼女が好きなわけではありません!!!