ピアノレッスン

土曜日の午前中にCJを自転車のうしろに乗せて出かけた。公園を突っ切っていくと早いんだよ、マクドナルドのところで信号わたって、絵が描いてあるお店のところを曲がるの。ちーがーうー! ほんとはいまの道を曲がらないとだめなの! うしろのシートからの喧しいナビゲーションにしたがったりしたがわなかったりしてのんびり走る。着いたのは本町の片隅にある雑居ビルで、階段をのぼった一室がCJのピアノ教室。レッスンバッグにしているnani IROのトートから幼児向けの教本を取り出して、30分のレッスンがはじまる。ふだんは妻が同行しているCJのピアノだけれど、この日はすこし都合があって、僕が付き添ったというわけです。
こどもにピアノを習わせるというのは、ちょっとオールドファッションにすぎるんじゃないかなんて僕は思っていたけれど、まずCJがピアノ弾きたいって云うし、妻も習っといて損はないよというので、レッスンを受けはじめたのがこのまえ日記を書いた4月。春が夏になって、秋のはじまりを迎えても無事にピアノのお稽古は続いています。
そんなこんなで、きちんとCJはまいにち練習してるんですけど、あー、家のなかに楽の音があるというのはやっぱりよいものである、というのが結論です。あまりに凡庸なミドルクラス的幻想ではないか、というのがピアノレッスンに対する僕の危惧だったわけですが、こどもがつまびく拙いピアノの音を耳にすると、プチブルと呼ばれるのを恐れることこそが凡庸さの証であるという気分になってきました。たぶんいまロックがあるとしたら、それは夜の中央線沿線のライブハウスのアンプから流れ出すひずんだ音ではなく、じぶんのこどもが弾く電子ピアノの音を聞くというアティテュードこそがロックなんではないかと、勝手ながら提案させていただきたい。わけのわかっていないJJがお姉ちゃんのもとに駆け寄っていくのを防ぐために、押さえつけていたりすると、さらにハードロックである。