本日は寝てよう日。

31日のfeepのライブはよかったです。単純なリズムに音をぽちっピーガーと乗っけてくようなイカサマものではなくて、ありふれた音が慎重に選ばれてじーっと身体の深い部分で増幅していくような気持ちよさがあったよ。アブストラクトな音楽が気持ちいいことについて考えようとすると、いつも「身体」ていう言葉を使うことの怪しさや怖さのあたりで堂々回りしてしまうんだけども、べつにそんなんいいかな?いいとも!て思いました。

昨日は大阪市立大のGRFのBush of Ghosts。踊り出すより先にえへらえへらしてしまうというのが、よい音楽をライブで聴いたときの僕の反応で、ずっとえへらえへらしてた。帰宅して今シーズン初めての鍋で汗をかく。

んで今日はうちでインターネットしたりしていたのですが、形を変えていつの間にかニュースサイトになっているトコがあって少しうーんと考えさせられた。けっこう前からそういう形になっていたようで、いつものごとくそういうのにうとい。で、作る人がそのあたりの年齢だったら20代後半から30代前半が対象になるのはフツーのことだけど、そうじゃなくて90年代に本や音楽や映画や思索が好きだったという人たちが対象の情報みたいなかんじを受けた。この情報が思い出話ではないところがキモである。悪いジョークに進化して現在の虚栄文化生活カタログになっちゃったってかんじ。

とか考えながら視線を室内に向けると、カルダンさま(もこもこマット)の上で妻がぬくぬく昼寝をしていて、相変わらず大金には縁がないけど僕らの生活もじゅうぶんカタログ的だわいとちょっと反省した。あっそうかこーゆーのプチブルっていうことを思い出したよ。革命好きのアニキは今どこに?