服ほめ

  • 好ましく思っている女の子に会う。
  • 女の子は見たことのない洋服を着ている。

このふたつの命題がどちらも真であった場合、男の取るべき行動が「ほめる」であることはまちがいない。「もっとぎゃるっぽいかっこうしろよ」とか言ってはいけない。そんなことは誰でもわかっているはずだけれど、僕たちはしばしば過ちを犯す。ふたつめの命題、女の子が見たことのない洋服を着ていることを認識できるフレームを男の子は備えていないからだ。簡単にいうと気づかない。
根本的なところで、男の子は女の子の洋服に興味がないんだろうなあと僕は思う。「女の子の洋服をほめる」という行動はモテるため、または社会の潤滑油として、後天的に獲得していく能力なのではないだろうか。もちろん、純粋に女の子の洋服がいいと思ったからほめるという場面もあるのだけれど、それは洋服を着用している女の子の存在はあんまり関係なく、「おもしろい布っきれ使ったコートだなー」「こんな靴、僕もほしいなー」という感想の表れでしかない。それは「かわいいね」ではなく「かっこいいね」とか「おもろいな」である。
そういうわけで凡人はあらかじめ心構えをしていないと、女の子の洋服をほめられないところからスタートする。子どもが「あの角になんか隠れてたらカバン投げつけてその隙に逃げたんねん」とずっと思いつづけて夜道を歩くように、あの子に会ったら洋服をほめなくちゃと心に刻み込んで外へ出かけることになる。もちろん、これは非常にぎこちなく、ほめたはいいものの「これ前にも着てた……」攻撃で瀕死のダメージを受けたりすることもあるが、そのような経験を重ねてタイミングよく自然に「かわいいね」というひとことが口をつくようになる。というようなレベルに達すると調子に乗ってだれにでも「かわいいね」を連発してやっぱり痛い目に遭う馬鹿も多い。男の行く道は果てしなく遠い。
さて僕はといえば、今朝妻が見たことのない洋服を身につけていて、最初に口から出たことばは、「かわいいね」ではなく、「いつ買うたん」「どこで買うたん」だった。もっとも、妻が見たことのない服を着ているというのは、平穏な家庭における怪異現象のひとつに数えられており、僕が驚き叫ぶのも無理はないともいえよう。びっくりした後、よくよく見て「あ、でもかわいいね」といったのでその点では罪は軽め。もんだいは、妻が着替えて一緒に「純情きらり」を観ながら朝食を食べている間20分近くにわたって、見たことのないマーク・ジェイコブスのタンクトップに気づかなかったことである。妻より宮崎あおいさんのほうが大事なのかと責められてもしかたがない。こういうところから家庭の危機が育っていくのかもしれない。とても反省している。