漢字が書けない

深夜の台所でたたずんで、ふと感慨にふける。ああ、僕はいつのまにか漢字を書けないひとになってしまったなあと。
こどものころ、たとえば母が買い物の覚え書きに「ブタ肉」「トーフ」などと記しているのが不思議でしかたがなかった。豚肉をブタ肉と書いて、どれだけ労力が削減できるのだろうか。豆腐を漢字で書くのはそりゃあ手間だけど、せめてそこは「とうふ」じゃないだろうか。しかしいま、僕は自らの不明を恥じます。おっさん(おばさん)になると、とにかく漢字を書くのがめんどくせえのである。
冷蔵庫にくっつけられたホワイトボードには、「トヨハシ」「こんしん会」などの、おそろしく頭の弱そうな文字列が並ぶ。「発表会」といくらか知能の残ったメモを残している妻は立派だが、それにしたって視線を移すと「ビワコ」だ。これはたぶん、PCなどの情報端末を使う機会が多くなっているからとか、そういう理由で漢字が書けなくなっているというあれとは、関係がないと思う。僕だって仕事場では、わりと漢字を使っているのだ。だれに見られるでもないメモにしたって、「採算表」とか「前年比」とか殴り書きではあるにせよ、ちゃんと漢字を使っている。やはり「さいさんヒョー」や「ぜんねん比」では気分が出ないんだと思う。関係ないですが、僕のToDoリストは「○○を何とかせねば…」「××が完成していますように…」などと、常に弱気なのが特徴です。
そう考えると、単にめんどくさいという話ではなく、家庭では油断しているからということになるのでしょうが、なぜ油断してしまうのかと考えると、それはそれで不思議である。だって、たぶん僕がひとり暮らしをしていて、冷蔵庫に「トヨタテンケン」なんて書いていたら、さすがに我ながらやばいと感じるのではないかと思うのだ。それが、夫婦ふたり(+こども)で暮らしていると、競うように生活がカタカナ化ひらがな化していくというか、お互いの承認欲求がまちがった方向にすすんでいるのを感じる。ふはは、きみはここまで承認できるかな。この馬鹿さかげんを、受け止めることができるかな。だれかこのチキンレースを止めてください。