岡田史子と矢代まさこ

昼休みに入った定食屋で週刊ポストを読んでいると、読書コーナーで大城のぼるの「汽車旅行」が取り上げられていた。評者は大塚英志。評の本筋(「新宝島」以前のまんがによる映像表現の存在)よりも、マクラでの「24年組の起源は岡田史子ではなく矢代まさこであることを再確認」発言が気にかかる。ちなみにこれは大塚氏の編集している「COMIC新現実」で、みなもと太郎が同じことをいってたことを受けての「再確認」なんだろうけど、そんな声を大にしていうことかなあ?
率直な感想として、24年組の少女漫画家たちは、岡田史子にも矢代まさこにも、さほど影響なんて受けていないんじゃないかと僕は思うんだけど。世間では「24年組岡田史子起源説」というのは、そんなに一般的なもんなんですかね? だとしたら少しは話がわかりやすくなるわけで、だって僕にも岡田さんの漫画は過大評価されてるんじゃないかなと感じるフシはあるもんね。岡田さんの新しさっていうのはとてもわかりやすくて、漫画以外の領域からもずっとラブコールが絶えなかったわけで、そういうのって漫画ひとすじの人から見たらなんかむかつくじゃん。俺の秘密の花園にずかずか入り込みやがって……おいしいとこ取りですか?って。そのうえ作画っていう重要なポイントを抜かして、セリフ回しやポップミュージックの影響なんて表面的な部分の共通点でヘンな起源説立てられたら、そりゃあ頭にきますよ(ちなみに、セリフ回しというのも岡田さんから24年組への直接的な影響っていうんじゃないと思う。同時代の少女文化の詩小説受容傾向からそれぞれに種が蒔かれたと考えるほうが自然)。
しかしですね、そこで矢代さんを持ってくるっていうのもすこし偏狭なんじゃねーかな。オタクだ。悪いオタクだ! 矢代さんの漫画はCOM時代の作品しか読んだことがないので間違ってたらゴメンナサイだけど、どのへんに影響があるのかようわからん。絵かなー。しかしそれこそ24年組の起源というには弱すぎる気がしますよ。ごく初期のステップとして24年組(のうち萩尾望都あたりか?)が作画の参考にしたとしても、現在僕たちが24年組と聞いて思い浮かべるイメージとはあんまり結びつかないもの。そういうわけで、この起源説にどれほどの意味があるのか僕にはいまひとつピンとこない。
というようなことを考えていたら、たけくまメモの岡田さんの訃報記事のコメント欄で、竹熊氏本人がもっと穏当にうまくまとめてらっしゃいました。

ああ、萩尾・竹宮の直接的なルーツはたしかに矢代まさこですね。初期のは絵柄がそっくりだったし。岡田史子は、24年組の起源というよりも、彼女自身も24年組なんですよ。(中略)岡田さんの萩尾・竹宮への影響は、絵柄ではなく詩的な言葉使いなどに感じることができますが、作品的影響というより、精神的な影響を強く感じます。ある種、非商業的な部分で先鋭的な表現を試みていた岡田の姿勢に、同世代の女性作家は勇気を与えられたというようなものではなかったかと僕は思います。