日記書いてなかった間のおぼえがき

  • 千林大宮の古書店に行く。目的の店は期待はずれだったけど,千賀書店で大泉黒石全集の6巻「葡萄牙女の手紙」買う。
  • それだーれと妻に訊かれたので、ほら俳優の大泉……えーとえーと(ど忘れ)、いたでしょ、あの人のお父さん。あーはいはい。
  • TV放送を録画しておいた、成瀬巳喜男の「めし」を観る。冒頭のキャスト紹介を観ていて、そうそう!大泉滉と叫ぶ。えっ、私は「水曜どうでしょう」の人だとばっかし思ってたよ。よくある夫婦のすれちがい。
  • 大泉黒石全集は全巻に由良君美の解説付。最近キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」の翻訳が鈴木晶だということを知って、これも由良君美の差し金だったらすげーよなー。自身の「反解釈」(スーザン・ソンタグ)、四方田犬彦と共訳の「至高体験」(コリン・ウィルソン)と並べたら、この微妙な方向性はすげーと思っていたら、鈴木さんのは新訳で1998年刊行と最近のものだった。残念。
  • 四方田さんも「月島物語」で大泉黒石について書いてたけど、何書いてたか思い出せない。またそのうち読み返そう。
  • ラブレーの子どもたち」。人格的なキヨホーヘンをさて置いても、四方田さんの書くものってなんか軽く扱われがちなような気がしますね。この本は古今東西の芸術家たちにまつわる料理を取り上げ、実際に作ってみながらあれこれ思いを馳せるといった趣向。ゆってみればしょせん高踏的なトリビアの寄せ集め。なのでそういうとこが四方田さんをバカにする人たちがいる所以なのだと思います。でもね、大した芸もないのに食することの「快楽」だの「官能」だのに身をまかせる人たちよりは、つつましやかな禁欲ぶりと健やかな胃袋の組み合わせはずいぶんチャーミングだと思いますけど? 掲載料理写真がすべてカラーというのもエライ!

ラブレーの子供たち

ラブレーの子供たち

  • 妻が買った「イノモト和菓子帖」という本も写真がきれいでエライ。和菓子はもちろんだけど一緒に写っている器が凝っていて、ふつうの陶磁器だけじゃなくて倉俣史朗のタイルなんて使ってたりする。

イノモト和菓子帖

イノモト和菓子帖

  • 本棚を整理して、もう読まないだろう本をベルリン・ブックスさんに持っていった。iPod shuffleには充分、でもnanoにはちょっと届かないくらいの買取価格。
  • iPodにはあんまり興味がなかったんだけど(だって通勤も電車じゃないし、外で音楽聴く時間があったら本読んでるからね)、トランスミッタ経由でFM波に載せたりとかでクルマで聴けるというので、今さらだけどちょっと欲しくなっている。ドライブのたびにCD何枚も持ち込むのめんどくさいもの。
  • 値段がつかない本は処分する前に読み返しちゅう。小松左京の「こちらニッポン……」で、無人の街になった大阪に残された主人公が、東京からやってくる女性を待つのがプラザホテル。無事会えた二人はホテル内のランデブーというレストランで食事をする。1999年の閉業後に大阪で暮らしはじめた僕としては、なぜ福島が飲食天国なのかもうひとつピンとこないんだけど、プラザホテルの残り火というのは非常にでかいみたい。上の「ル・ランデブー」出身のシェフとマネージャーがやってる「レストラン・ヴァリエ」という店がやはり福島にあって、一度しか行ったことないけど相当ウマかったですよ。

こちらニッポン… (ハルキ文庫)

こちらニッポン… (ハルキ文庫)

  • ていうか小松左京って京町堀生まれなんですね。4歳のときに夙川に引越し。
  • おなじく京町堀に暮らしていたといわれる江戸期の町人絵師、耳鳥斎(にちょうさい)を最近知って興味津々なんだけど、今年の春に伊丹市美術館で展示やったばっかなのな。残念!
  • 「こちらニッポン……」では、伊丹空港は正しくは大阪第二飛行場、第一飛行場は八尾の飛行場というような説明がされてるけど、これはどうも違うみたい。正しくは1923年に木津川河口に作られたのが、日本で初の民間飛行場である大阪飛行場だったらしい。
  • その木津川とあの木津川って違うものなんだ!としばし衝撃。ヘンだヘンだとは思っていたけど……。淀川に合流した木津川の水が土佐堀川から分流している可能性はゼロではないけど、とりあえず公式には別の川という扱いらしい。
  • ミルクレープ食べたい。ドゥリエール心斎橋。
  • googleで“京町堀1-15-7”と検索する。板倉ビルと誤表記しているページがたくさん交じってる。これは坂倉ビルが正解。実際に行ってみればわかることだけど坂倉準三ゆかりの坂倉建築研究所の大阪事務所がある。amadanaのサイトなんてのが誤表記をしてるのを見ると、ちょっと笑い。
  • (妻へ)BALTHAZAR、やっぱり元ネタは何なのかようわからん。シンボリックなバルタザールがいろんなところに現れる。起源は東方の三博士らしいけど(東方の三博士-wikipedia)、ペルシア語ではなく、その音に何らの意味も確認できないというところが不思議。今度行ったら店の人に訊いてみる?